大正処女御伽話読んでるけど、
志磨家の家族構成がイマイチ分かんない・・・。
大正処女御伽話は、
主人公の珠彦が5人兄弟である事が分かりますが、
実は、家族構成はかなり複雑で、
初見だと、謎だらけだと思います。
この記事を読めば、
志磨家の家族構成が、
すっきり分かるはずです。
志磨家の家計図を紐解く関連エピソードを一挙紹介!
志磨 珠義(しま たまよし)
志磨家の当主、珠彦の父親。
全ての子供達の父親。
志磨 透子(しま とうこ)
珠彦の母。
交通事故により、事故死。
「第32話 厭世家ハ二度死ヌ 5巻」のシーンに出演。
透子が珠央に対して言った、「珠介さんとの子供、珠央」
「アナタだけが私の本当の子供」
「あの男に産まされた珠彦と珠子は私の子じゃない」
「私の子は珠央だけよ」
珠彦・珠央・珠子の母である事が確定。
志磨 珠樹(しま たまき)
「第30話 十二月三十一日 ② 4巻」のシーンにより、
24歳の若さで死去。
当時、珠彦が19歳だったため、珠彦の5歳年上である事が確定。
「第30話 十二月三十一日 ② 4巻」の文脈等から、父親は、珠義で確定の雰囲気だが、母親は不明。
志磨 珠代(しま たまよ)
明治36年4月13日生まれ。
「第22話 確志ノ瞳 3巻」のシーン。
珠彦の二つ上の腹違いの姉である事が確定。
父親は、珠義確定だが、母親は不明。
志磨 珠彦(しま たまひこ)
明治38年9月1日生まれ。
「第32話 厭世家ハ二度死ヌ 5巻」のシーンで、透子が珠央に対して言った、「珠介さんとの子供、珠央」
「アナタだけが私の本当の子供」
「あの男に産まされた珠彦と珠子は私の子じゃない」
「私の子は珠央だけよ」より、
父親は、珠義確定。
母親は、透子確定。
志磨 珠央(しま たまお)
明治41年8月10日生まれ。
「第30話 十二月三十一日 ② 4巻」のシーンに登場。
「僕ももう十六歳ですよ」と発言しており、当時、珠彦が19歳だったため、珠彦の3歳年下である事が確定。
「第32話 厭世家ハ二度死ヌ 5巻」のシーン。
「珠彦と珠子とは種違いの兄弟」
「俺ってさ、父さんの子供じゃない」
「本当の父親は、志磨 珠介って人みたい。」
この発言により、
父親は、曲直部 珠介確定。
母親は、透子確定。
志磨 珠子(しま たまこ)
明治44年2月1日生まれ
「第9話 兄ト妹 2巻」の珠彦の発言、「僕がお前と本当に血の繋がった兄妹だからここに来たんだろ」により、珠彦と父・母が同じ可能性が高くなる。
「第32話 厭世家ハ二度死ヌ 5巻」のシーンで、透子が珠央に対して言った、「珠介さんとの子供、珠央」
「アナタだけが私の本当の子供」
「あの男に産まされた珠彦と珠子は私の子じゃない」
「私の子は珠央だけよ」
より、
父親は、珠義確定。
母親は、透子確定。
曲直部 珠介(まなべ たますけ)
珠彦の叔父さん。
「第32話 厭世家ハ二度死ヌ 5巻」のシーンで、透子が珠央に対して言った、「珠介さんとの子供、珠央」
「アナタだけが私の本当の子供」
より、
珠央の父親確定。
尚、
「第22話 確志ノ瞳 3巻」の珠義の、「お前は婿入りして他家へ逃げたのだったな。まだアレを取られた事を根に持っているのか」発言より、
「志磨珠介」⇒「曲直部珠介」に苗字を変えた理由も判明。
志磨家の家族構成を図式化してみた!
志磨家の家計図は?
父 | 母 | |
珠樹(明治33年台) | 珠義 | 不明 |
珠代(明治36年4月13日) | 珠義 | 不明 |
珠彦(明治38年9月1日) | 珠義 | 透子 |
珠央(明治41年8月10日) | 曲直部 珠介 | 透子 |
珠子(明治44年2月1日) | 珠義 | 透子 |
家計図を表にしてみました。
5人とも、父親は一緒かと思いきや、珠央1人だけ、父親は「曲直部 珠介」です。
また、長男の珠樹と、長女の珠代の母親は、透子でない事は確かですが、本編では母親の名前には触れられていません。
「羅刹の一族」と呼ばれるくらいですので、こちらも、気になるところ。
最終巻までの家計図の変化は?
珠樹 | 死去 |
珠彦 | 結婚し、立花珠彦に改名 |
珠央 | 曲直部珠介の養子になり、曲直部珠央に改名 |
珠子 | 曲直部珠介の養子になり、曲直部珠子に改名 |
まず、長男の珠樹ですが、関東大震災の時に負傷し、療養中である事が描かれていましたが、長女の珠代に毒を盛られてしまいます。
また、主人公の珠彦は、結婚を機に、ユヅの本名である立花姓を名乗ります。
そして、珠央と珠子の2人は、曲直部珠介に引き取られ、養子になります。
一家の離散は、長女・珠代が画策した事が描かれていましたが、改めてみると、ひどい有様ですね。
まとめ
是非、原作も手に取ってみてくださいね。
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